ウィリアム・ハート氏の「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門」(春秋社, 1999/11)を繰り返し通読し、だいぶ理解が深まった一方で、やはり分からないことも多い。
現状の理解を、一度まとめようと思う。
・渇望や嫌悪の心の反応は、全て苦につながる.
・たとえ快感であっても、失う時や次を求めてしまう時に苦しむ.
・わたしたちは盲目的に心の反応を繰り返しており、かつ、それに関して無知である.
・心の反応に気づくことは大きな一歩であり、気づくだけでその多くをいなすことができる.
・一方、心の反応が起きた瞬間に気づくことで、大きな苦からは逃れられるが、そもそも心の反応が起きないようにするには、知恵が必要.
・知恵とは、すべての心の反応が、実は苦しか生み出さないと、全身で体験し理解することである.
・心の反応が苦しか生み出さないことを、知識として頭に入れたとしても、心の底から納得しているわけではないから、ふとした瞬間に、心の反応に価値があると勘違いして、飛びついてしまう.
・心やからだを観察し続けると、生まれる性質を持つものはすべて止滅する性質を持つという事実(無常・無我)に気づく.
・かならず止滅してしまうものを、止滅しないと勘違いすると、それが自分に価値を付与したり、それを心の拠り所の対象にして良いと、勘違いしてしまう.
・かならず止滅するのだから飛びつく価値のある妄想などないが、知恵がないため価値があるととっさに思ってしまう.
・かならず止滅すると心の底から納得すれば、苦しか生まない心の反応が、そもそも起きないようになる.
・思考、空想、感情、記憶、願望、不安、といったすべての心の対象物がからだの感覚を引き起こす.
・からだの感覚を観察することによって心の観察ができる.
・ただ行うべきは、すべての感覚を反応せずに観察しつづけること.
一方、繰り返し読んでも分からないことがある。
体の感覚を観察し続けると、やがて強い感覚が溶解し、均一な、かすかな感覚へと変化し、ついには、猛烈なスピードで生まれては消える波動だけを感じるようになる、といったことが記載されているが、想像もつかない。
もっとも、体験した者にしか分からないときちんと断ってあるので、分からないのは当然なのだろう。

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